コスモスとトンボ2005年10月01日 15:13

2005.10.01 15:13

首都圏よりは秋のすすみ具合も早い。
長野の実家の畑の一隅
コスモスで羽を休めるやぐるまトンボ

信濃の空2005年10月02日 20:24

2005.10.02 08:33

山が
空を遮って
故郷の空は
天の一角に
ある

今朝の最低気温が11℃、との有線放送のアナウンスを機器ながら両親と午前のお茶を飲む。日差し強い日中は暑いくらいだが朝晩はさすがに冷え込むのだった。

「騎士(シヴァルリ)の息子」<ファーシーアの一族> を読む2005年10月03日 21:50


中世ヨーロッパ的ファンタジー<ファーシーアの一族>
一族が支配する六公国が物語の舞台となる。

その公国を支配する王族の庶子である少年の回想録という形で記されている本書だが、ファンタジーにありがちな少年の成長物語とは少し違う。

少年が城に引き取られたことによって彼の父である世継ぎの王子は引退し早世してしまった。
6歳で城に来た少年は犬を友として厩舎で育つ。動物に心沿わせる<気>の能力は嫌われている魔法だが少年は知らずに使ってしまっている。<気>は<技>と並ぶこの世界の特殊能力で、少年はこの<技>にも触れることになるのだが・・・・。

王家の暗殺者としての訓練を受け、少年は世界の動きに関わっていくようになる。彼は『触媒』となる存在なのだという。

主人公の少年が影でいることが多いからだろうか、物語の奥に暗闇が潜んでうごめいているような重さがあって、白魔法黒魔法の対決といったわかりやすさもなければ、敵を倒したからと賞賛される喜びの成長もない。ひたすらひっそり裏の部分からの回想。
この薄暗く重い本の雰囲気の慣れるのにさほど時間はかからなかった。後はひたすらこの世界の中で少年と共に生きたのだった。

続編が出版されている。楽しみだ。

「騎士(シヴァルリ)の息子」<ファーシーアの一族>
 上・下巻
ロビン・ホブ 著
鍛冶靖子 訳
創元推理文庫
2004.12.24 刊

金木犀2005年10月05日 18:05

2005.10.05 17:15

けぶる雨
ただよう
キンモクセイの香り
しめやかに
ひっそりと

「天保十二年のシェイクスピア」 シアターコクーン2005年10月08日 21:40


10月6日(木) ソワレ  シアターコクーン

井上ひさし 作
蜷川幸雄 演出
宇崎竜童 音楽

天保十二年のシェイクスピア

“宝井琴凌の「天保水滸伝」をはじめとする侠客講談を父とし、シェイクスピアの全作品を母として”産出された作品。シェイクスピアの全37作品が織り込まれていて、初演の時は5時間を超え、終演に近づくにつれて観客が(帰宅を心配して)減っていったという話が伝わっているくらいの大作。

戯曲を読むだけでもぐいぐい引き込まれる。ちりばめられたシェイクスピアにこれでもかとばかりの言葉のリズム、1970代の井上ひさしが凝縮している。

井上ひさし本人が台本に手を入れ、休憩含めて4時間の作品に仕立て直された今回。削られた部分もあり新たに加わった部分もあり。
それをNINAGAWAシェイクスピア俳優が演じる。超豪華な出演者が揃った。

夏木マリの怪演@出だしの歌だけで圧倒される、白石加世子の存在感、舞台の進行役をもつとめる百姓隊長役の木場勝巳・・・・ひとりひとりあげていくときりがない。

開演前の舞台はグローブ座。そのグローブ座が壊されるところから芝居が始まる。始まると同時に両側の電光掲示板にあらわれる文字。

  ♪ もしも
  ♪ シェイクスピアがいなかったら
  ♪ ・・・・・・

時には劇中歌の歌詞であり、劇の場の説明である。

舞台は常にグローブ座の前にしつらえてそこで演じられ、舞台転換が一つ一つ区切られている。

そこに言葉があり、シェイクスピアがあった。戯曲で読んだおかしみ(みんな死んでしまう悲劇的作品のはずなのに読みながらあちこちで笑ってしまう)も舞台の上にあり、一場一場が時にはリア王、マクベス、と区切りながら楽しめたのも新鮮だった。

4時間があっという間の凝縮された世界を満喫した。
2002年の日本劇団協議会10周年記念に上演された同作品は鴻上尚史企画監修、いのうえひでのり演出のものだった。 実際の舞台ではみることはかなわなかったが、DVD化された舞台は幸い見ることができた。
井上芝居は『こまつ座』というものがある以上協議会主催での芝居ではこまつ座と対局にあるものを、と考え、演出いのうえひでのり、ということになったのだと鴻上が語っている。
井上脚本を適当にカットしてのいのうえひでのり(新感線)的舞台は、きらびやかな【完全超悪】。ストーリーでぐいぐいおしていた。


それに対しての今回のNINAGAWAバージョン。

どちらがどうだったかという比べ方はできないが、隊長とエンディングの歌のないいのうえひでのり演出がより悲劇な物語だったのに対し、NINAGAWA演出は<ことば>によった紡がれた舞台だった。

12月にwowowにてテレビ放映される。生の舞台でないとはいえ、またあの舞台を見ることができると思うと待ち遠しい。